病院の先生に言われ、会社に休職可能期間を問い合わせました。就業期間によって変わるとの事で、自分は欠勤開始日から半年との事です。具体的には11/22(月)までとの事です。その日で自動退職になるそうです。ただし傷病手当については最大1年半出るとの事です。これはこれまでは会社が手続きを代行していただけで、今後は個人で手続きを行う必要があるそうです。

正直急に現実を突きつけられた気がしました。休職開始当初は転職に対して行動をしていましたが、それでは病状が良くならない事が分かり、何も考えない事にしてただだらだらと過ごしていました。その間、何度か仕事を考えたり体調を崩したりを繰り返していました。この半年の間に転職活動や何かしらの勉強をしておけば良かったとも思います。ですがそれでは体調が良くならなかったし、それらは体調・気持ち的に出来なかったと思います。もちろん唯の甘えもあったと思う。

結局どうしようか。ぼんやりと転職するのが良いと思っている。会社に復職しても希望の部署に行けなければ上手くいくか分からないし、そもそも希望部署で上手くいくかも分からない。今回の事で、働き方や生き方に対して改めて思うところははっきりしてきた。頑張ろう。

適応障害自宅療養

6ヶ月目:調子も良くなってきて、先生からもリハビリがてら就職活動を勧められました。1社試しに受けてみて、受けるまではめちゃくちゃ嫌だったけど、受けてみると受けて良かったと思えた。受かる気がなかったからか何も気負わず本心で話す事ができた。またその内容を肯定してもらえたのも良かった。(ただし、それがその会社と合致しているかはまた別問題である)

だが、それからまた将来の事で不安になり何もする気持ちが起きなくなってしまった。考えれるのは犬と山道具のことだけだ。そんな状況が二週間近く続いて、今はそんな状況に飽きてきた。もう寝続けるのも飽きた。ちょっと頑張ってみるかと思った。

結局、やるっきゃない。

 

まず、この機会に我がままに本当はやりたい事を書き出してみようと思います。

ニュージーランドで暮らしたい(自然/政治/言語/食/働き方に興味があり)

・松本で暮らしたい(日本で山に近く、今より家賃も安く、そこそこ都会だから)

・営業はやりたく無い(数字を追いたく無い、スーツ着たく無い)

・もっと海外行ってみたい

・欧米のロングトレイルを歩きたい

・南極に行ってみたい

・年収500万以上欲しい

・土日祝日、長期休暇を取れる仕事がいい

・ジョンミューアトレイルを歩きたい

・社会復帰したい

・結婚したい

・自由な働き方がしたい(フリーランス、自営業という事?)

 

まずは家計簿と掃除から始めよう。

先日、ゴリさんに自分の近況報告と相談をしました。結果的に解決には至らなかったし、より考えるきっかけとなり気持ちが辛くなりました。ですがそれでも話してよかったと思うし、ただただ話ができただけで嬉しかったです。早く彼女と一緒に浜松に行きたいです。

適応障害の治し方として、まず休養が必要らしい。この休養は完全に仕事を考えず、何かしなければと追い詰めず、脳や気持ちを休養させるという事らしい。次に環境調整がある。休養ができてまた頑張る気持ちになれても、また同じ環境になれば意味が無い。これまでの繰り返しである。

自分の復帰への懸念・問題として、生き方自体を大きく変えたいと考えている事が大きいと思っている。またその行為が我がままでは無いかと思い始めている事が問題だと思う。だが、生き方を変える事も環境調整の一つに過ぎないと気づいた。以前研さんに「自分が得意で嫌いでない事を仕事にすると良いと思う」と教えていただきました。それも一つの考えだなと改めて思った。さてどうするか。1人で思い詰めず、彼女としっかりと話して決断していきたいと思います。

自分に無理のない職業や働き方を見つける事が大切だと思います。ただし僕は年齢の事や、海外や地方での生活への憧れなどから、これからどんな生活・生き方をしたいかをしっかり考えてその為の収入を得る方法を決める事が大切なのかと思っています。

適応障害自宅療養

1ヶ月目:2週間くらいリスマの事を意識して辛い。徐々に転職活動する。焦る。

2ヶ月目:焦りながら転職活動する。辛い。

3ヶ月目:焦りながら転職活動する。辛い。35歳になってしまった。

4ヶ月目:ゆっくり時間を掛けようと考え、転職活動を辞めると心が落ち着いてきた。調子が良くなると徐々に仕事を考える。ただしそうすると辛くなる。

5ヶ月目:仕事の事はあまり考えずに過ごす。早く社会復帰したいという気持ちは強くなってきた。ただこれまで興味があった事への関心が弱まった印象。気になっていたが観たことが無かった映画を観るのがなかなか億劫だ。床屋に行ったら気分が良くなった。自分が心から好きだ、興味があるという事に触れると、とても元気になった。

8月は彼女も仕事がかなり大変で、2人して精神的に辛かった。自分に余裕がない中、彼女を支えようとするのはなかなか大変だった。