ここ最近、やっと周りの大人に言って頂けた言葉が少しずつわかっていました。
師匠に言われた、お前は社会人としての基本的なマナーや意識が出来ていない。会社の上司には、高山には自信がない。先生には、もう自信が無いって言い訳するのはいいんじゃない?と。僕が大学卒業後、途中就職もしたが今に至ってきた理由や原因はそこにあると思う。もちろん単純にデザインの能力が低いってのもあったとは思う。元々卑屈というか劣等感の強い性格でした。高校までは、部活なり、勉強なりでこれだけは負けないと、少なからず自信を持てるように頑張っていたと思います。たぶん僕は大学の三年か四年から手を動かし足を動かす事よりも、悩む事に時間を割いて来てしまった。その結果、なにも成果は残らず自信も付きませんでした。そこからさらに問題なのは、その解決策として、自身で努力して技術と自身を身につけるのではなく、その為の環境(就職、交友関係、住居)ばかり求めていたんだと、今になって気づきました。当時は力を身につける為の前段階という意識だったとは思いますが、無意識下ではどこかに所属する事で安心しようとしていたんだと思います。まさに「ここではないどこかへ」といった気持ちでした。しかし大事なことはそういうことでは無いのだと気づきました。自分に自信を付ける為には自分で手を動かし足を動かし、努力をするしか無いんだと思います。その際場所なんて関係ないんです。やりたい事に直接関係のない場所にいるのであれば、その場所にいる為の自信と努力が足りないのであって、その為の小さな小さな自信を積み重ねるしか無い。そうやって小さな自信が身に付いたら次の場所に行き、小さな努力を積み重ね中くらいの自信を身につける。その繰り返しだと思います。場所ではないんです。むしろ場所に頼ってはいけない。他人に頼ってもいけない。あくまで自分自身であって、ここなんだと思います。他人の褌で相撲をとってはいけない、他人の端っこに乗せてもらって回っていてはいけない。自分が中心である。まだこれが正しいかは分からないけれど、今はこれを信じて小さな小さな自信を積み重ねていきたいです。

今日PUBLIC/IMAGE 3DでNAMの展示を観てきました。作品自体はもちろん素晴らしかったのですが、最終日と言うこともあってかご本人とお話をさせて頂くことができました。展示されていた作品はワイヤーでモノを浮かして合成した様なアートワーク(写真)でした。本人曰く、写真上でグラフィックデザインをしたと言われていました。合成した様なと言いましたが、実際合成してしまえばもっと簡単に制作できるはずです。なのにどうして手作業で実際にそういったセットを作り撮影をしているのかというと、実際にそこにある手で作り込んだ気迫や力強さが出てくる、手作業でやるからこそ生まれる偶然性があると言われていました。それは僕が印刷やモノづくりに対して強く想い、理念としている、実体験・実物・質感・発色の持つ強さ、これに近いモノを感じました。実際ご本人にその話をしたら共感して頂けました。それは僕にとって自信に繋がりました。やはり基本間違っていなかったんだと。大変おこがましい発言になってしまいますが、あの人と僕との差はそこからどれだけ突き詰めてどこまで細部にこだわりどこまでレベルをあげたかだと思います。僕はこれからその実践や勉強の積み重ねです。また劣等感からかモノづくりに対して変に高い理想を持ってしまい、その実現が難しく努力を怠ってしまってきました。きっともっと気軽で良いんだと思うんです。ノリで良いんだと思います。ノリで良いから手を動かし続けその瞬発力を高めていけば1つ1つの作業が億劫ではなくなってくるんだと思います。

今月で上京して丸二年になります。デザイン事務所でも半年働き、プリンティングディレクターの元で二ヶ月アルバイトをしました。かなり年の離れた上司の元で仕事もしてきました。決して順調な二年ではなく、むしろ言い訳ばかりの二年でした。やはり大学の途中から僕は印刷がやりたかった、印刷物が作りたかった。その為にデザイン事務所を目指した。だけど色々あってやはりプリンティングディレクターが気持ちの上で一番やりたい事であると今は思う。これからその為に小さな小さな努力をしていこうと思う。落ち込み焦りつつも気軽に気軽に。